リップスライムという幻
将来の夢は、成長とともに変化してきた。
幼稚園の頃は、なんとかレンジャーだったかな。いつしかその夢は終わった。
小学校にあがると、獣医になりたかった。当時飼っていた愛犬を病院につれていき、お尻に体温計をさしたあたりでその夢は終わった。
中学時代は、かっこいい大人になりたいと作文を書いていた。かっこいい大人とは、勉強ができる、やりたいことを選べる大人だと書いてあった。
高校時代は、服屋だった。放課後の度にココスにいって、おれは美容師!公務員!レコード屋!保育士!と、それぞれの夢を語り、みんなでお店を出して、そんなストリートを作りたいといいながら受験戦争を乗り越えた。
大学時代は、リップスライム。もう絶対リップスライムになりたかった。大学2年の時、服屋になって以来、わたしはずっとリップスライムになりたかった。
リップスライムは日本で一番陽気なおっさんである。楽園ベイベーを歌い、oneを歌い、黄昏サラウンドを歌い、酒を飲み、手を取り合い、踊り明かす。そんな毎日を過ごしたかった。
リップスライムを聞いている間は、夏だ。どんなに寒くても、そこには常夏がある。ココナッツとサンシャインクレイジーなのである。朝まで悩んでた日々は思うよりもはやくムダになったし、夜はなんか会話が合って、みんなが友達に感じていたのである。
しかし、リップスライムは解散した。
そして、わたしがみていたリップスライムは、わたしがみていた陽気なおじさんは、虚像だった。偶像を崇拝していた。
PESのツイッターを読んでは、陽気なおじさんなど存在しなかったと思い知らされる。
精神的なしがらみのない生き物、それがリップスライムだとおもっていた。リップスライムだけは、歌って踊ってchillな日々を過ごしているのだと、信じて疑わなかった。そんなおじさんなど初めから存在しなかったのに。
おじさんというものは、得てして孤独な生き物である。否、おばさんもである。
27歳をおばさんとするのかはさておき、明らかに時の流れは早くなっている。少しずつ衰えていく自分。矢のように過ぎていく日々。成長しているはず、と言い聞かせ、少しの努力をしてきた自分だけを支えに、なんとか毎日立っている。やりたいこともほしいものも少しずつなくなっていくのを感じながら、それでも毎日に小さな幸せをみつけている。それなのに、何気ない日々に小さな幸せを、感じてしまうことそのものが怖くなったりして。大人になっても、大人になった気はしない。
大人になるってなんだ?わたしがなりたかったのは大人じゃない。大人になんてなりたくなかった。そうおもっていたけど。
大人ってめっちゃたのしい。聞いていた話と違う。いろんなしがらみはあるかもしれないし、一年の半分は冬だし、歌って踊って過ごせる夜なんてそんなにないけど。
生きるために仕事をするのを辞めたわたしは、もう無敵である。ライフワークバランスなんて言葉はもう必要ない。やりたいことをやって、ほんの少しのお金と、自由にカスタムできる時間とを手に入れてしまったわたしはもう無敵なのである。大人になんてなりたくなかったのに、大人ってめちゃくちゃ楽しいじゃん。
わたしはもう、リップスライムになる必要はなくなった。歌って踊ってchillしない毎日だって最高だ。
さて、今後の展望としては、ねこになりたいとおもう。できることなら飼い猫を目指したいけど、すこしハードルが高いかもしれないな。
でも大丈夫。夢は叶えるためにあるから。夢のない人生なんてまっぴらごめんだから。
わたしはねこになる。絶対になる。誰になんと言われようと、わたしはねこになりたいのだ。
ねこになるよ、みてろよ、ビッグなねこになってやるからな!!ドリームズ カム トゥルー!