働きたくないと働きたいのはざまで
日曜の夜ですこんばんは。
GW明けの日曜の夜、1年のうちの憂鬱な時間としては5本の指にはいるのではないでしょうか。1年の中の憂鬱な時間は、毎週日曜の夜、8月31日、プレゼンの前日、雨の日の歯医者、振られるとわかっているのに服を選ぶ時間。このあたりがランクインします。いやですね、考えただけで憂鬱です。
さて、いまこの瞬間関東平野でもっとも憂鬱なわたしがいつも通りInstagramを開くと、ある広告が出てきました。
『もう、生えたくないから。』
そう、これは紛れもなく、”毛サイド”の訴えです。この場合の主語は、この女の子ではなく、あくまで、”毛”。女の子が主語の場合は、おそらく『もう、生えてきてほしくないから』『もう、生やしたくないから』などになるのではないかなと思います。
でもこの広告は、あくまで、毛の気持ちを代弁しています。
友人に、【これは毛サイドの代弁をしているのか。毛サイドは、生えたいのではないか】と投げかけたところ、『わたしたちの働きたくないという意思に通ずるものがあるんだろうな、毛じゃないのでわからないが』という回答でした。
なるほど。わたしは毛サイドの気持ちを考えていたようで、まったく考えが及んでいなかったことを恥じました。毛サイドは、生えたいものだとばかり思っていました。毛のことを思いやるようでいて、まったく、わたしの、固定概念の押し付けでした。毛にだって、もしかしたら、『別に生えたいわけではない』という思いがあったって、不思議ではないのに。わたしは、毛サイドの葛藤をくみ取ることができなかった。
そう、これは、わたしの、わたしたちの『働きたくない』とよく似ています。
仕事好きなんですよ、たしかに。たしかに、わりと、好きな方なんです。いや、というかもはやぶっちゃけ好きとか好きじゃないとかではない。そこにあるもの。食う寝る住む働く。
でも、当たり前に出来れば働きたくないし100億円ほしい。日曜日の夜は憂鬱だし、一生夏休みであれと思います。もう戻れない大学生の夏休みに戻りたい。好きでもないお酒を飲んだり行きたくもないカラオケに行く日々が恋しい。サマージャム95きいて気が付いたら寝ていたい。そうめんの薬味をたくさん揃えて、みょうがと生姜どちらがうまいか、いやでもやっぱりねぎが薬味界では最強なんじゃないかと議論したい。働きたくない。生涯歌って踊って暮らしたい。
でも、働きたいし成果も出したいし給料もたくさんほしい。日曜日の夜は憂鬱だけど変わっていく働き方に少しワクワクする。このご時世に仕事があることに感謝しているし、なにか自分にできることがあるんじゃないかといつも探している。怒られてむかつくけど納得もしちゃって、それでもうるせえ見返してやるからなとおもう。たまに褒められて、よせやい///と思いながらまんざらでもなかったり、週明けの週末なにしてたの?という雑談が楽しみだったりする。自分の成果だこれは自分の仕事なんだと胸を張れる日がくるまで働きたい。
たぶん、毛もこんな感じです。
生えたいと、生えたくないとのはざまで、それでも命の灯を燃やしている。精一杯生えたいと願いながら、ほんとうは生えたくないかもしれない。いや、ほんとうは、生えたいのか、それはもう、どちらの感情が正なのかとか、簡単に割り切れるような、そんなものではないはずです。
この葛藤は今後、ずっと付き合っていくものだと思います。
働きたい。働きたくない。お風呂はいりたくない。お風呂はいりたい。寝たい。寝たくない。決して相反する感情ではなくもはやこれは表裏一体。毛よ、生えてもいい、生えなくてもいい。生えたいときがあって、生えたくないときもある。それでこそ毛。ムダhair。見せてくれ毛としての生きざまを。
やっぱり違和感って、目に留まりますね。
まんまと脱毛の広告を拡散してしまった。やられたぜ。
チーム働きたくないのみなさん5月もがんばっていきましょう
おしまい