代官山登山部

デジタルネイティブの申し子。広告代理店勤務。マーケティングなどをしています。Apple製品がすきです。

夏休みの宿題をギリギリまでやらない君たちへ

夏ですね。

さて、夏といえば、夏休みの宿題ですね。

 

 

 

この世には2つの人間しか存在しません。

そう。夏休みの宿題を、ギリギリまでやらないタイプと、ギリギリまでやらないとみせかけて最後までやらないタイプです。(夏休みの宿題、ちゃんとまいにち、コツコツやっていた人間なんて、存在しませんよね?)

 

 

何を隠そう、わたしはギリギリまでやらないとみせかけて、最後までやらないタイプだったんですけど、もちろん提出しないわけにはいかないんですね、アレ。わたしは高校時代、地元じゃ負け知らず進学校に通っていたのですが、提出しないなんて選択肢はないのです。

 

 

で、どうするか。友達のを片っ端からうつすんですよね、みんなにジュースとか奢って。ありったけの小銭で、初めてひとを雇うわけです。そんでみんなで協力して、50ページくらいある問題集を埋める。

 

 

あんまり覚えていないですが、高校3年生はたしか、受験があるから宿題がなくて、2年生まではあった気がするのですが、もういかんせん遠い記憶で、うっすらとぼんやりと、かすかな記憶の中のわたしは、夏の終わりはだいたい焦っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとか大人になりました。立派ではないし、決して思い描いた大人ではないけど。

 

 

あの頃の未来に、ぼくらは立っているのでしょうか。

あれから僕たちは、なにかを信じてこれたのでしょうか。

悲しみっていつかは消えてしまうものなのでしょうか。

 

 

 

どうなんでしょうか。そんなことは知りません。気持ちよく歌いかっただけです。すみません。

 

 

 

 

 

 

さて、そんなわたしも、大人になりました。会社という大きな歯車の中で、自分の仕事を見つけながらもがいています。見つけていたはずの仕事は、気がついたら絶えず降ってくるものへと変わりました。ギリギリまでやらない悪い癖を持っている人、優先順位が〜とかいう人、とりあえず後回しにする人、ここにきてめちゃくちゃ痛い目を見ます。

 

 

 

絶え間なく降り注ぐのです。愛の名ではなく、仕事が。永遠と呼ぶことを望んでもいない、仕事が。

 

 

ギリギリまで、とか、優先順位、とか、もはや言っている場合ではありません。なぜなら、絶え間ないので。今日頼まれた仕事は、今日やらなくてもいい仕事だとしても、今日やらなくてはだめなのです。大事なことなので、もう一度言います。今日頼まれた仕事は、今日やらなくてもいい仕事だとしても、今日やらなくてはだめなのです。

 

 

 

 

 

おかしなことに、休んでも休まなくても、サボってもサボらなくても、やるのは自分なのです。自分しかいない。しかも、今日片付けるか、明日片付けるか、それだけの違いではありません。

 

大きな違いがあります。決定的な違いです。

 

 

 

 

 

あしたを、空けておかないと、ほんとうにやりたいことが目の前にきたとき、できないのです。時間が、余裕がないと、どんなに気持ちがあっても、できないのです。

 

 

 

チャンスの神様に、後ろ髪はありません。

 

なにより、人間は、そんなに強くありません。語弊ですかね、わたしは、強くありません。強い意志で、「その仕事!やらせてください!ちょっと余裕ないけど!」なんて、とても言えません。だってわたしには、なんの実績もありません。

 

 

 

 

 

そんなわたしは、片手をいつだって空けておくしかないのです。ギリギリまでやらないでいた、否、ギリギリまで粘って、最後にはなにもやらずに生き残ってきたわたしが言うのですから、信じてください、片手、空けといたほうがいいです。絶対。

 

 

「お、あいつに頼むか、手空いてそうだし。」を、決して逃してはいけません。(これが、やりたい仕事かどうかは神頼みなので悪しからず!)

 

 

 

 

 

 

しかも、これは仕事だけではありません。気になるあの人からの急な誘い、合コンの穴埋め、親友の失恋、恋人の風邪。

 

その時、その瞬間じゃなきゃダメなことが、多すぎるのです。予期せぬ出来事が、たくさんある。もうたぶんめちゃくちゃある。

気になるあの人が誘ってくれた、でもやることに追われて行けなかった。もう誘ってはくれないかもしれません。

合コンの穴ができて誘われたのに、やることに追われて行けなかった。運命の出会いを、逃してしまったかもしれません。 

親友が失恋したのに、やることに追われて駆けつけられなかった。散々助けてもらったのに、助けてあげられないだなんて。

恋人が風邪をひいて寝込んでいるのに、やることに追われて行けなかった。ひとりで、さみしい思いをさせてしまう。

 

 

 

 

 

今日やることやったら片手が空くなんてぬるいな!そう聞こえてきます。知っています、そんなに世の中は甘くないことを。やってもやっても終わらないことを。というか、そもそも終わりや、完成など存在しないことを。今日じゃなくても、大丈夫です。今週でも。今、という表現が、大事なのです。次でも、来週でもなく、今なのです。

 

 

 

 

 

あーあれやらなきゃ、これもやらなきゃ、と思うストレスは計り知れません。なにをしている時も頭の片隅に、やつらはいます。ああ、帰ったらやらなきゃ、明日やらなきゃ、やったほうが楽なのはわかっているのに、どんどん先延ばしにして、いやになっていく。そうゆう風に、できています。

 

わたしは知っています。学生時代に培った、先延ばしスキルがバツグンのわたしは知っています。

 

やらなかった言い訳を探すより、やったほうが、100倍楽なことを。

 

 

 

 

 

 これは、先延ばし、先延ばしにして、なんとか逃げ切ったり、逃げきれなかったりしたわたしの、小学校から大学に至るまでの全学生時代をかけて学んだ、たった1つの真実です。

 

100倍です。誇張ではありません。100倍、楽なんです、100倍。

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫、達成感、ありますから。やったらやっただけ、ちゃんとあります。やったぞー、わたしやったぞー、って思えますから。誰も褒めてくれなくても、自分だけは、知っています。自己肯定感、大事にしていきましょう。少しでも、バッファ、とりましょう。

ちなみにこれは、メンヘラ視点からみてもかなり有効です。余裕ないの、マジ良くない。マジで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お気づきでしょうか、"バッファ"って言いたいだけのブログでした。おしまい。

 

 

褒められたい一人暮らし

わたしは、一人暮らしをしている。

 

 

一人暮らしをしているのだ。声を大にして言いたい。一人暮らしを、している。褒められたい。だれか褒めてくれ。一人で、たった一人で、東京の小さな部屋で、暮らしているのだから。

 

 

 

排水溝は、掃除をしないと詰まる。ゴミはゴミの日、曜日が決まっている。ペッドボトルのラベルははがす。虫が出たら、キンチョール。トイレットペーパーは、なくなる。

 

お腹がすいても、自分で作るしかない。お腹がいたくても、だれもお腹をさすってはくれない。

 

 

 

咳をしてもひとり。声を出して笑ってもひとり。どんなに楽しく飲もうとも、仕事が楽しくとも、嫌なことがあっても、家に帰ればひとり。

 

 

ただいま!!と元気に帰っても、ただいま、とうなだれて帰っても、無言で扉をあけても、おかえりは聞こえない。

お風呂に入らなくて寝てしまっても、朝がくる。なんで起こしてくれなかったの〜!と人のせいにすることもできない。

深夜に食べたくなってしまったアイスを、止める人はいない。

 

 

 

褒められたい。月曜日は、よく出勤したねって褒められたい。火曜日は、ごはんつくって偉いねって褒められたい。水曜日は、燃えるゴミをちゃんと出せて偉いねって褒められたい。木曜と金曜は、もうちょっとでお休みだよ、よくがんばったねって労われたい。土曜は、お外に出て偉いね、日曜はゆっくり休んで偉いねって褒められたい。毎日毎秒褒められるべきだ。毎日毎秒褒められてここまで大きくなったのに、突然ひとりで、たったひとりで暮らすだなんて、そしてそれが当たり前だなんて、どうかしてる。もはやこれは、褒められたい、ではない。褒められるべき、だ。

 

 

 

そう思いませんか。

そう思います。誰か褒めてください。

 

 

おわり

 

 

 

やめれば?は嫌味ではない

「仕事やめたい」「向いてないかも」を聞くたび、わたしは、「やめれば?」と答える。

 

決してそれは、突き放しているとか、自分には関係ないからとかではなく、ほんとに、そんなものは辞めていい、と思っている。むしろ、辞めた方がいい。そして、試しに、軽い気持ちで転職サイトに登録してみるのがいい。

 

 

 

 

 

わたしは仕事が好きだ。いまももちろん好きだし、前職もすごく好きだった。

 

 

 

 

前職は、5年が経つまえに、辞めた。

プツンと何かが切れてしまった。もうここではがんばれないな、と思ってしまった。

 

 

仕事も、上司も、部下も、すきだったし、信頼していた。うまくいかないことは多かったし、向いてないと何度もおもったけど、それでも仕事が好きだったし、目標があった。行きたい場所があったし、やりたいことがあった。

 

そこには行けなかったのだけど。

 

 

 

 

 

 

いろんな原因があったと思う。実力、実績、努力、今までの行い、人となり、運、愛情。いろんなものが、足りなかった。足りないこともわかっていたから、努力し続けることは苦ではなかった。ただ、努力の方向性が間違っていたのだとおもう。

それでもその時のわたしは、その時のわたしの頭で考えぬいた、その時のわたしがやるべきことを必死にやっていた。誰かからみたら足りない努力だとしても、間違った努力だとしても、少なくとも、その時のわたしには、それがすべてだった。

 

 

 

夢が終わった瞬間を、はじめて味わった。おそらく、人生ではじめての挫折だったと思う。ヘラヘラと生きてきたわたしの、はじめての挫折で、失恋した時より、愛犬が死んだときより、泣いた。とにかく、悔しかったし、情けなかったし、自分には価値がないのだと、自分のしてきたすべてのことは無駄だったのだと思ってしまった。

それが全てではないのだけど。それが、全てだったから。

 

 

 

 

 

そこからのわたしは、本当にダメだったと思う。挫折くらいで諦めるなんてその程度、と言われればそれまでだけど、そこからのわたしは、もうなにもがんばれなかった。全てが無駄に思えた。完全に、目標を失ったわたしは、迷子だった。

どうでもよかった。仕事の結果も、評価も、心の底からどうでもよかった。どんな結果も評価も、嬉しくもなかったし、悲しくもなかった。

だって、選ばれるのは、わたしではないのだから。

 

 

 

そしてそんなわたしにも、ついてきてくれている何人もの部下がいた。わたしのいうことをまるっとそのまま飲み込んでくれるような、そんな子たちばかりだった。

まだまだ若い彼女たちに、これから何にだってなれる彼女たちに、わたしのいうことすべてを信じてしまう彼女たちに、わたしは今までみたいに、自信をもって正解だ、と道を示すことができなくなった。

 

だってわたしの努力は、なににもならないのだから。

 

わたしが正解だとおもって、力強く進んできた道は、どこにもつながることはなく、時間だけが過ぎていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

そうしてわたしは、仕事を変えた。いつまでも執着することはわたしにはできなかった。

 

諦めないで、まだ望みはある、とか、続けてればいつか、とか、そう言われるたび、そのいつかを待つほどわたしには時間がないと強く思ったし、焦っていた。やりたいことも行きたい場所も、叶えたい夢も腐る程あるのに、こんなことしてる場合じゃないのだ、と。

 

 

 

 

 

損切りである。損切り2018である。損切りオブザイヤー、損切りドントクライ、ノー損切りノーライフ。これ以上の時間の投資は、わたしの人生において失うものの方が大きい。単純にそれだけの話だった。

 

 

 

そしてサンクコスト。サンクコストとは、戻ってこない時間や費用のことであり、サンクコスト効果とは、今までかけた時間や費用をおもうと、もったいなくて離れられない現象のことだなのだけど、そうなるのが、怖かった。

これだけ頑張ってきたのだから、とがむしゃらにしがみつく夢も、これだけ費やしたのに、と辞められないギャンブルも、これだけ長く一緒にいたのだから、と気が合わないことを感じながら付き合う恋人も、実は、結果的に、失うものの方が大きいかもしれない。

 

 

 

 

 

わたしは仕事を変えた。

 

後悔は、いつだって欲望には敵わない。この行動力で、わたしは何度も失敗してきた。何度も後悔した。それでもわたしは、この行動力で、何度もやり直してきたから、いつもと同じように、やり直すことを決めた。やりたいことをやるには、人生はあまりにも短い。

 

 

 

そうして別の道を見始めた途端、やりたいことをやれる道など、ひとつではないと知った。たったひとつだけの正解を探して、もがいていたわたしが、世の中にはこんなにたくさんの仕事に溢れていて、そしてそれを仕事にする方法は、決してひとつではないと知った。

 

目の前にひとつしかないと思っていた道は、360度広がっていて、わたしは自由になった。なんだってできるのだ。(正確には、実は、道を変えるために、寝る間を惜しんで、勉強をしたのだけど!)

 

 

 

 

 

仕事を変えて、はや4ヶ月。

 

少しこれは驚くのだけど、あれだけやりたかったことを、やれなかったことを、当たり前みたいに任せてもらえるのだ。4ヶ月なのに。なにもできないのに。

 

 

実は半分くらい、今もまだ、なに言ってるか全然わからない。カタカナをググりながら出る会議も、案件のたびに就活以上にする業界研究も、エクセルの使い方も、これやっといてよと突然降ってくるひとつも仕組みのわからないシステムも、目が回る。惰性でできてしまうことなどひとつもなく、他の人が5分で終わらせる仕事をわたしは、30分かけて理解するけど。30分で終わらせるぞって思っても、2時間かかるけど。

 

「マネタイズ方法考えといて」「これ来週fixで」「リテール経験活かして」「パーミッション取れてるか確認して」「ブロックチェーン」「フィジビリチェックの意味合いで」「POCで」

 

頼む、日本語で頼む。カタカナやめて。っていうか日本語で言われてもわかんないこと言わないで!意味がわかってもできないこと当たり前みたいな顔で言わないで!

 

めちゃくちゃで笑ってしまうくらい、訳も分からないまま任されて、いろんな人に聞いて、ググって、ググって、何度も修正されて、話を聞いて、これはあれだ、そうだ、ドラクエである。村人と話すたび、ヒントがもらえて、アイテムを集めて、レベルを上げて、わたしは仕事を変えたとおもっていたけど、実は、どうやらドラクエをしていたらしい。

 

わたしは明日からも、アホみたいな顔して質問の意味を確認するのだとおもう。必死についていくのだとおもう。だから、悩んでいるひとも安心してほしい。なーんにもわからなくても、お金はもらえるし、お腹はすくし、ごはんはおいしいし、やりたいことを当たり前にできる場所がある。

 

 

わたしは何もできないけど、やりたいことややってみたいことを伝えると、形にしてくれる人がいる。いつだってずっとずっと先の未来を見てきた彼らの、惜しみない才能を味方に、わたしはこれからも、頭の中を、一生懸命伝える。

 

 

 

「やめれば?」は、決して嫌味ではなく、わたしからの熱いエールだ。リクナビでも、マイナビでも、ビズリーチでも、wantedlyでもいい。軽い気持ちで、ヘラヘラと、転職してみたらいい。嫌なら、辞めたらいい。やりたいことがあるなら、やればいい。きっと楽しいので大丈夫だと思います。

 

おわり

 

 

たばこ/コレサワと夜もすがら君を想う/藤川千愛についての考察

さて、藤川千愛をご存知だろうか。今をときめくシンガーソングライター藤川千愛まねきケチャという暗黒アイドル時代を経て、無事デビュー。

 

 

 

 

彼女の最新アルバムに【夜もすがら君を想う】という曲がある。これはコレサワの【たばこ】のアンサーソングだという。

 

 

 

どちらもなかなか、グッとくる歌詞とメロディーなんだけど、今宵もまた、お得意の独断と偏見に満ちた考察をしていきたい。異論は認めます。

 

 

 

【たばこ/コレサワ】は失恋ソングだ。失恋したばかりの女の子が、彼がいなくなった部屋で、ようやく彼がいないことを実感する歌で、悲しくて、切なくて、情けない。わたしもかつて同棲していた彼が家からいなくなり、一人暮らしになったことがあるので、この切なさや情けなさはほんとにグッとくるものがあった。初めて聞いた時は、息が止まるかと思った。

ちなみに、失恋ソングにありがちなタバコという題材については、歴代の恋人がタバコを吸っていた試しがないため想像で補完していきたい。

匂いは、記憶にガツンと残るらしい。たしかに、電車の中やすれ違った人から、あの頃の匂いがフッとして、振り向いてしまうことがよくある。たぶんファブリーズの匂いとかだけど。

 

 

 

さて、それぞれの歌詞を抜粋しながら考察をしていきたい。

 

 

まずは一番グッとくる、サビの部分から行こう。

 

 

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【たばこ】

「もっとちゃんと、ぼくをみててよ、もっとちゃんと」って

その言葉が 君には重かったの

「もっとちゃんと、ぼくをみててよ、もっとちゃんと」って

言わなければ 君はまだここにいたかな

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もっとちゃんと、と思う気持ちは痛いほどわかる。もっとであり、ちゃんとである。もう全然、足りないのだ。重いとか重くないとか、そんなことはよくわからない。この女だってわかってないはずだ。重い、という言葉は、自分のほうが好きだった、みたいな、被害者意識が感じられる。好きなほうが幸せなんだから、好きであることに被害者意識を持つのはどうなのか。幸せじゃないのか。誰かを好きでいられる、これ以上の幸せを君は知っているのか。被害者意識ヅラするなよ、受け止めなかったのは君だ。だけどわたしにはわかる。同じ経験がある。愛情を受け取るのって怖いよな。でもね、疑ってるんじゃなくて、信じていたんだよな。わかる。泣いていいよ、ベイビー。

 

 

そして、以下は藤川ちあいである。

 

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【夜もすがら君を想う】

夜もすがら君を想う 煙は宙をくゆり消えてく

夜もすがら君を想う 残像にしがみついて

夜もすがら君を想う 心覚えに慰められて

夜もすがら君を想う 何が足りなかったんだろうな

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何が足りなかったんだろうな。なあ、何が足りなかったんだ。もっと、もっとちゃんと、ってなんだよ。もうこれ以上なにを求めるの、どうしたら満足してくれるの、ねえ、君はなにを求めていたの。

 

 

 

以上が、二つのサビである。非常に胸が苦しくなる。自分の望みを叶えてもらえなくて悲しい、相手の望みを叶えてあげられなくて苦しい、そんなふたりが一緒にいるのは、さぞかし辛かろう。もういっそ、離れてしまったほうが楽かもしれない。そう思うのは自然なことである。大好きだったはずなのに、大好きだったからこそ、少しずつそのズレが許せなくて、苦しくなるよな。もういっそ、手放したいと、そう思うのは自然なことだ。仕方ない。

 

 

 

そんな中、ふたりの思い出やパーソナリティが感じられる、以下の部分についても触れておきたい。

 

 

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【たばこ】

昨日の夜から君がいなくなって 24時間が経った

ぼくはまだ一歩も外には出ていない

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24時間が経っても尚、外に出ることすらできない。わたしの経験上、別れ話は週末だ。金曜の夜だ。平日に別れ話なんてとてもできない。次の日仕事だし早く寝たいよね。つまり金曜に別れ話をして、土曜を一日ムダにした彼女。わかる。出れないよね、出る気になんてなれない。出て行かれるよりきっと、出て行くほうが楽だよな。出て行った後の全部が残った、ふたりの生活が、思い出が残った部屋で、明日の朝ごめんねって帰ってくるんじゃないかってくだらない期待を捨てられずに、待ってみたりする。帰ってきたらちゃんと謝ろう。帰ってきたら、少し怒ったふりをしよう。帰ってきたら、今まではしなかった料理なんてしちゃって、彼の好きなものを作ってふたりで食べよう。帰ってきたら。帰ってこないのに。

 

 

 

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【夜もすがら君を想う】

君の小さな胸に顔を埋めて眠りたい

そんなことを口にしたら君は笑ったんだっけ

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小さなってところが気になりますね。ふたりの関係性が伺えます。彼女は貧乳、間違いなく貧乳。貧乳はステータスだ。彼女、笑ってる場合じゃないぞ、戦え。貧乳はステータス。

 

 

ちなみにこれは、2曲の冒頭である。

彼女はなんだかセンチメンタルになりがちなのに対して、彼のこの能天気っぷりである。別れた時に思い出すのはいつだって、そうゆうくだらない思い出だよな。仲の良かったあの時にはもう戻れないと感じるよな。アメトークみて笑いたい。ふたりで久々に映画館でも行こうかってみた映画がめちゃくちゃつまらなくてふたりで寝ちゃったな〜!っていって笑いたい。ふたりで選んだ椅子が、部屋のドアを通らなくて、通らん!!とか言いながら試行錯誤して笑いたい。そんな日々はもう戻らない。

 

 

 

戻らない日々をふたりは思い、でもやっぱり合わなかったかもなあ、と思う部分を、一生懸命探すのです。ふたりが別れた理由を、後付けして納得させる作業をするのです。もう、振り返らないように。楽しかったことばかり思い出して、許せなかったことを許せばよかっただなんて思わないように。やっぱり、だめだったじゃん、ほらね、わたしたちやっぱり、合わなかったよって。

 

 

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【たばこ】

たばこの嫌いな僕を気遣って ベランダで吸ってたっけな

カーテンが揺れて 目が熱くなった

もうそこには 君はいない

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【夜もすがら君を想う】

怒り咎める誰かはもうそこにはいないのに

ベランダで吸ってんだ 君の嫌いな

君の嫌いな タバコを

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すれ違いが見受けられる部分である。雲行きがかなり怪しい。気を遣ってくれてるとおもっている一方で、怒り咎められてると思っているようです。おかしいな。気を使ってベランダで吸っていたのか、怒られたからベランダで吸っていたのかな。楽しかったことと同じくらい、合わなかったこともあるよね。許せなかった部分も、たくさんあったはず。

ほんとのことはふたりしか知らない。

 

 

 

 

さて、考察を進めて行く中で、どうにも難しいところがあったので、もしよければ皆さんの見解を聞きたい。

 

 

以下の歌詞である。

 

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【夜もすがら君を想う】

新しく借りたこの部屋は まだ何もなくてさ

君を真似て買ったサボテンが すべて見透かしてくれて

ウーナ タタタ

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ウ、ウ、ウーナ タタタ……???

突然の…ウーナ タタタ…!!!!!!!

取り憑かれた。完全に何者かに取り憑かれた。呪文である。ウーナタタタなどという言葉は聞いたことがない。サボテンがどうとかもう全然はいってこない。新しく借りた部屋ってインテリアこだわりたくなるよね。わかる。でもサボテンより気になるのは、ウーナタタタなんだよね。すべて見透かしてくれるサボテンもまあまあすごいんだけど、そんなことよりウーナタタタが気になっちゃってさ、もうなんもはいってこない。

 

 

 

 

以下、諸説あるとおもうけど、わたし的な考察はこちら。

 

 

 

 

BUMP OF CHICKENでいうところのオーイェイアハン説

 

BUMP OF CHICKENでいうところの、オーイェイアハンだとしても、無理がある。だって、ウーナ タタタだ。ウーイェイとか、オーイェイとか、ラララとかではない。これはなんらかの隠語に違いない。どこかの部分の、アンサーに違いない。どこだ、どこのアンサーだ?さっぱりわからん。

BUMP OF CHICKENでいうところのオーイェイアハンに憧れて、ウーナタタタは無理がある。BUMP OF CHICKENの生オーイェイアハンは二回くらい聞いたけど、もうすごかった。ステージにでてきて開口一番に、「オーイェイ アハン」といっただけでなんの歌が始まるかわかるし、黄色い声があがった。でも、ステージにあがって「ウーナタタタ」はもう怖いじゃん。だめ。却下。

 

この説はなさそうだな。

 

 

 

②ウーナタタタ、界隈では有名説

 

そう、我らデジタルネイティブ、わからないことはGoogleにきく。

Google「ウーナタタタ に一致する情報は 見つかりませんでした。」

 

まじかよ。Googleですらわからないこと、わたしにわかるわけがない。そんな界隈など存在しなかった。はい、この説もなしです。

 

 

③でもやっぱりアンサーソングだから、ある程度曲の流れや、メロディーの盛り上がりにリンクする説

 

なんども聞いた。ウーナタタタに、当たる部分を探して。

そして見つけたのがこちら。

 

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【たばこ】

君の匂いがしたのさ 君の匂い

一口 吸ってしまった でも

やっぱり むせた

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ここしかない。ここだとおもう。ぜひ、聞きながら感じて欲しい。

やっぱりむせたーーーーーーー↑↑

ってあがるあたりとか

ウーナタタターーーーー↑↑

ってあがるあたりは、やっぱりリンクしている。

この説だ!!!!これだと思います!いかがでしょうか!!!!!

 

 

彼がむせたとき、ウーナタタタ!って言い合っていたんだとおもう。ウーナタタタは、きっと、むせた時とか、咳をした時に使うおまじない的なあれで、ふたりのための、ふたりだけの、ふたりしか知らない共通言語だったはず。

 

 

彼女「ゴホッ!ゴホッ!」

彼氏「ウーナタタタ!」

 

 

たぶんこんな感じである。なんせ彼女はたばこを吸わないし、嫌いであるし、彼が吸っていたらベランダに追い出し怒り咎めるくらいにはたばこが苦手なはずだ。そして冒頭にあるように、彼はちょっぴりおつむが弱い。貧乳いじりを懐かしむくらいには、デリカシーもないかもしれない。貧乳はステータスだけど。きっとちょっと、能天気なやつだから。そこが好きだったんだね、彼女もきっとさ。

 

でも、彼女はたばこが嫌いなのである。むせるくらいには、苦手である。彼もそれを知っているはず。ベランダで吸うことが、くせになっているくらいには、彼女に幾度となく怒られてきたのだろう。それなのに。

それなのに、なんだその物言いは。ウーナタタタじゃねえ。能天気もそこまでだ!

 

     

 

 

 

 

以上

 

ゴホゴホむせてる奴に対して、ウーナタタタなんていってるやつとは別れて正解。お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

補足

【たばこ/コレサワ】の公式アンサーソング、【恋人失格/みゆはん】というものがあるようです。こちらは正式なアンサーソングだけあって、ウーナタタタしてません。【夜もすがら君を想う/藤川千愛】もなかなかよいけど、千愛の名曲は【夢なんかじゃ飯は食えないと誰かのせいにして】一択だと思います。どうぞよろしく。

 

 

名古屋じゃだめなの?について

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上京するにあたり、何度も聞かれた質問がある。

 

「名古屋じゃだめなの?」

 

 

 

こう聞かれるたび、わたしは「マサラタウンにはさよならバイバイするもんなんですよ」と答えている。大抵、(何言ってんだこいつ)という顔をされるけど、もう聞かれるのもめんどくさいから、ヘラヘラと答えている。

 

 

逆に問いたい。

名古屋にいる理由は、なんなのか。名古屋じゃなきゃいけない理由は、あるんですかと。

 

 

 

 

物心ついた頃には、そこにはネットがあった。中学で携帯をもち、友達とはメールでやり取りをし、高校でホームページをつくり、大学はGoogle力と友達の力だけで卒業した。デジタルネイティブと呼ばれ、わからないことは人に聞くより、ググった方が早い。

 

睡眠欲、食欲、性欲よりバッテリーとwi-fiがなくちゃ。音楽を聞くのはApple MusicとSpotify、本や漫画はkindle、動画はyoutubeNetflixで、買い物はamazon。すべてはこの手のひらの上で完結し、親指一つで手に入る。そんな世代。

 

 

 

どこにいても、なんでもできる世界があるのに、特定の場所にこだわる理由がなかった。

 

 

 

 

インターネット環境さえあれば仕事ができて、生活ができる人になりたい。そんな大人になりたい。そう思ったけれど、わたしにはなんの取り柄もスキルもない。そうだ、揉まれるしかない。なにかを身に付けたいと思ったとき、その場に飛び込んでしまうのが最短ルートで、情報はいつだって東京からで、じゃあ東京で情報を扱う仕事をすればいいじゃん!と。そんな簡単な理由で、名古屋ではなく、東京を選んだ。

 

 

もちろん、ただの憧れもある。東京への憧れ。広告業界への憧れ。キラキラしたなにかへの、漠然とした憧れ。

 

 

 

BLEACHの愛染はこういった。

「憧れは、理解からもっとも遠い感情だよ。」

 

 

そう。憧れは、理解から最も遠いのだ。憧れてるだけじゃ、追いつかない、なにも見えない、わからない。さすがである。我らが久保帯人先生である。

 

 

 

 

そうして意気揚々と、虎視眈々と、満を辞して、声高らかに、上京したわけですが。

 

 

 

 

気づいたことがあります。気づいてしまいました、不都合な真実に。期待していたものとは真逆の、事実に。

 

 

 

 

ネットだけで完結する仕事なんて、存在しなかった。結局すべては、人と人なのだ。人がいて、課題があって、需要が生まれて、あなただから頼みたいと、そうして仕事に繋がっていくのだと知った。そんな当たり前のことを、恥ずかしながら、ようやく思い知った。ネットがあれば仕事があるだなんて、とんだ思い上がりだった。

 

 

 

そして、いる理由がないといった名古屋。

 

名古屋、めっちゃ楽しい。あの、ほんと、ごめんなさいね。名古屋、めっちゃ楽しいです。気の合うやつらがいて、街に出れば友達に会い、好きな人がいる。コメダがあって、ドトールは空いてて、服を買うついでに近況報告して、名駅か栄にいけばなんでも揃う。至る所に胸がギュッとなるような思い出があって、音楽がそれをすべて芸術に昇華してくれる。モグラみたいに地下で暮らして、気が向いたら実家に帰って、さみしいときは友達の家に居座って。

 

 

悔しいなあ、最高じゃん。

さみしいなあ、さみしいぜ、東京。

 

 

 

 

 

ああ。はやくお金を稼げるようになろう。ノマドになれるくらい信用を勝ち取ろう。友達に会いに福岡にいって、少し疲れたら沖縄にいって、うどんが食べたくなったら香川までいこう。交通費なんて屁でもないくらい稼ごう。どこにいてもどこにでも駆けつけられる人になろう。

 

 

 

会いたい人に会いたい時に、会いに行ける人になろう。

友達が失恋したら、だなんて甘酸っぱいかわいい時期はもうひょっとしたら終わってるかもな、友達の相談はもっときっと、ずっしりと重たいものになったりするかもしれない。それでもその時、そばにいてあげられる人になろう。好きな人が風邪を引いたら、冷えピタとポカリを届けて、病院につれていこう。さみしい夜なんてなくなってしまえ。たまには親にも顔を見せよう。仏壇に手を合わせよう。どこでもいつでも、のぞみでもひかりでも、ANAでもJALでも、駆けつけよう。足でもチャリでもピンクのバスでもない、最速でいけるやつで。

 

 

「日本国内なんて廊下やん?」と、言える大人にはまだまだなれていないけど、わたしはこれからも言う。名古屋かえりたいんじゃ〜!ってまだまだ夜行バスを検索しちゃうけど、それでも言う。そんな大人になりたいと思いを込めて、わたしはこれからもそう言い続けていきたい。

 

 

 

 

「日本国内なんて、廊下やん?」

 

 

理想を言えばきりがないけど、ほんとのほんとのほんとに、ほんとは、こんな未来が待っているといい。

ねこになるのが無理なのであれば、来年26歳になるのが無理なのであれば、神木隆之介になるのもリップスライムになるのも無理なのであれば、こんな理想くらい叶えられないかなあああ。おしまい。

 

 

メンヘラについて本気出して考えてみる

 

メンヘラは常にメンヘラなわけではない。

メンヘラは日常の至る所に、ひっそりと身を潜め、いまかいまかと、その時を待っている。メンヘラとは風邪みたいなもので、その人自身を、気質を、表すのものではない。以下、わたしの独断と偏見に満ちたメンヘラへの考察結果をどうぞ。

 

 

 

無論、わたしはメンヘラと呼ばれる類の女である。うるさいぞ外野、わたしはメンヘラではない。メンヘラはわたしの、気質ではない。

メンヘラは、風邪と同じなのである。体調が優れなかったり、季節が変わったり、環境が変わったりすると、その悪魔のような側面を見せる。

ということで、メンヘラの、メンヘラによる、メンヘラのための、メンヘラとの向き合い方をレクチャーしていきたいと思う。

 

 

 

 

 

まず、メンヘラについて語るにあたって、メンヘラの定義付けを行いたい。あまりにも認識の幅が広すぎる。どいつもこいつも猫も杓子もメンヘラメンヘラいっちゃって。

 

 

オッケーGoogle、メンヘラの定義!

 

Google『メンヘラとは、2ちゃんねるメンタルヘルス板にいるような人間のこと。ネットスラング。またそれが転じて、心に病気を患った人を指す。』

 

 

困ったなGoogle、情報が古い。2ちゃんねるの時代は終わった。いまは5ちゃんねるだぞ、しっかりしろ。そもそもメンタルヘルス板にいるような人間のこと。ってなんだよ、どんな人間だよ。心に病気を患った人のことを指す、というけど、世間はもっとカジュアルに使ってるじゃないか。なにかっていうとすぐ、メンヘラだメンヘラだ、って言うじゃんか。そんな定義でいいのか?なんだ?やる気あんのか?

 

 

 

もういい。わたしが勝手に定義する。

 

『メンヘラとは、人の不幸を望む状態のこと。これは不定期で起こる風邪みたいなものであり、誰にも予想できないし、予防はできるけど確実に避けることはできはしない。身体が丈夫なやつは、よく食べ、よく動き、よく眠る。それと同じで、メンヘラをねじ伏せる事のできるやつは、よく食べ、よく動き、よく眠る。』

 

  

はい。これにします。メンヘラis風邪。

 

つまり、

メンヘラ=風邪

 

風邪=心の余裕 ー (体調不良×疲れ)

 

この式が成立する。

 

 

メンヘラとは、人の不幸を望む状態のことだと、わたしは思っている。誰かが楽しそうにしているのを羨んだり妬んだり、人の不幸話で安心したり、自分より楽しそうなやつや認められてる奴を見ると襲ってくるあのどうしようもない気持ち。あれのことだ。

 

なんども言うが、メンヘラは気質ではない。いつだって人の不幸を望んでいるわけじゃない。自分がうまくいっていない時、自分がなんだか退屈な時、自分の近くの人が自分のいないところで楽しんでいるのがなんとなくさみしい。そんなかわいい、心の中のスネ夫なのである。心の中のスネ夫が、(やーいのび太!全然だめでやんのー!でもほんとはこんなこと言う自分が一番きらいなんだ僕は。でももう僕は人を、貶めることでしか、自分を守れない。なあのび太。)と叫んでいるのだ。

 

 

 

わたしはつい先日、とうとう28歳になった。ちなみに、来年は26歳になる。誰がなんと言おうと、来年は26歳になるようにできている。そして将来的にはねこになるので、人間的な年の重ね方はしない。なぜならわたしはほぼねこになりかけているし、なりかけだからエラーも多くて、年を増やす方に進まないことだってある。仕方ない。来年は26歳になるけど仕方ない。甘んじて受け入れよう。

 

 

 

 

さて、そんなわたしは今は28歳の立派な大人なので、感情のコントロールをせざるを得ない日常が存在する。

その反動で、特定の人にだけ見せる顔があり、メンヘラニズムは時にその人との関係性を深め、時に牙を剥く。

 

 

ハローわたしメンヘラ!と、ポップにそいつはやってきて、土足で上がり込み、散々暴れて散らかしたと思ったら何事もなかったように帰っていく。それは突然やってくる。

 

 

 

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「すきすきすき!だいすき!」

「なんでわかってくれないの?」

「もう無理。大っ嫌い!」

「やっぱり愛してる」

以下ループ

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これはメンヘラってる時の心情の移り変わりである。

順を追って説明していく。

 

 

フェーズ1

「すきすき!だいすき!」期である。ここに至るまでの過程は今回は省く。気持ちを素直に表現し、無邪気に現状を楽しんでいる様子は、幸せそのものである。これがメンヘラの始まりだとは当の本人すら知る由もない。

 

 

フェーズ2

「なんでわかってくれないの?」期だ。この時期から少しずつ雲行きが怪しくなり、相手への期待値が高ければ高いほどこのフェーズ2は脅威である。「なんでわかってくれないの?」を超える愚問はない。愚問、愚問、愚の骨頂。わたし以外わたしじゃないとあれだけ絵音が歌ったのに、まだその声は届いていないのか。自分のことは、だれにも、自分にも、決してわからないのである。

 

 

フェーズ3

「もう無理。」期にはいると、すべてを拒絶する。BLEACHでいう織姫状態である。わたしはッッ拒絶するッッ!!と、だいすきな人に、そしてさらにはこの世界に絶望をし、拒絶をする。そしてこの時の様子は、「もう無理。死んでやる!」とか、「もう無理。リスカする」とか、ステレオタイプ的なものばかりではない。

「寝てた(28時間後)」「大丈夫だよ!(大丈夫じゃない)」「別に」「なんでもない」これらはすべて、拒絶時の反応である。この世界には巨乳じゃないタイプの織姫が存在することを、覚えておいてください。

 

 

フェーズ4

「やっぱり愛してる。」さて、急展開である。何があったのか本人にすらわからないけれど、おそらくホルモンバランスの周期である。あれだけ拒絶をしたあと、(あれ?なんでわたしこんなこと…)とすっとぼけタイムにはいる。そう、愛していることに気がつくのである。どうかしてた、なんであんなことを言ってしまったの!でもそれでもやっぱり、きみがすき!の結論に至る。

 

 

 

このループを何度か繰り返し、色んなものを少しずつ失っていく。ゆっくりと、だがしかし確実に、大切なものを失っていく過程である。

 

でももうわたしは、何も失いたくない。

これ以上何も失いたくないし、誰にもなにも失ってほしくないのだ。

 

 

ここからは、メンヘラになりがちなひとへ解決策を提示したい。28年間、ホルモンバランスにより色んなものを失ってきた、酸いも甘いも知り尽くした、独身アラサーOLが導き出した答えだから、少しは説得力があると思う。

 

 

 

メンヘラは、風邪だと前述した。

 

 

風邪をひいたときは、代わりに誰かが薬を飲んでも意味がない。自分自身が、風邪をひいている当人が、薬を飲むしかないのだ。どんなに身体が動かなくても、吐き気がしても、味が不味くても、当人が薬を飲むことでしか治らない。誰かにどうにかしてもらえるというのはそもそも間違いなのである。自分で、立ち上がるしかない。人に期待するのはやめよう。

 

 

 

先ほどの式を思い出して欲しい。

 

メンヘラ=風邪

 

風邪=心の余裕 ー (体調不良×疲れ) 

 

 

さらに、気温の変化はダイレクトにクるのでそれも追加すると

 

 

風邪=心の余裕 ー (体調不良×疲れ) ×気温の変化

 

そしてさらに、

心の余裕=金の余裕 であるため

 

 

風邪=金の余裕 − (体調不良×疲れ)×気温の変化

 

 

体調不良と疲れに関して、

気温の変化によって大きく変わるが、夏であればここは打ち消されるはず。

 

つまり

 

風邪=金の余裕 − (体調不良×疲れ)×気温の変化

  ___________________________________

                              夏

 

 

すると、

夏風邪=金の余裕

 

の式が成り立つ。

 

そして風邪にメンヘラを代入して

 

夏メンヘラ=金の余裕となるため、

 

夏メンヘラ=金の余裕

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                   夏

 

よって、以下が成り立つことが証明される。

 

 

メンヘラ=夏の金の余裕

 

 

 

お気づきだろうか、解決策を提示しようとしているのに、夏の金の余裕とメンヘラがイコールになってしまった。わたしの黒歴史である偏差値27の数学力がこんなところで露呈されるとは思わなかった。誤算だった。恥ずかしい。

 

 

何はともあれ、わたしが言いたかったのは、お金は大事。あと夏は最高ってことです。

世界各国津々浦々の悩めるメンヘラたちへ。

たくさん稼いで、楽しい夏を過ごそうな!

 

 

 

 

 

将来の夢の話

将来の夢は、成長とともに変化してきた。

 

幼稚園の頃は、なんとかレンジャーだったかな。いつしかその夢は終わった。

小学校にあがると、獣医になりたかった。当時飼っていた愛犬を病院につれていき、お尻に体温計をさしたあたりでその夢は終わった。

中学時代は、かっこいい大人になりたいと作文を書いていた。かっこいい大人とは、勉強ができる、やりたいことを選べる大人だと書いてあった。

高校時代は、服屋だった。放課後の度にココスにいって、おれは美容師!公務員!レコード屋!保育士!と、それぞれの夢を語り、みんなでお店を出して、そんなストリートを作りたいといいながら受験戦争を乗り越えた。

大学時代は、リップスライム。もう絶対リップスライムになりたかった。大学2年の時、服屋になって以来、わたしはずっとリップスライムになりたかった。

 

 

リップスライムは日本で一番陽気なおっさんである。楽園ベイベーを歌い、oneを歌い、黄昏サラウンドを歌い、酒を飲み、手を取り合い、踊り明かす。そんな毎日を過ごしたかった。

 

 

リップスライムを聞いている間は、夏だ。どんなに寒くても、そこには常夏がある。ココナッツとサンシャインクレイジーなのである。朝まで悩んでた日々は思うよりもはやくムダになったし、夜はなんか会話が合って、みんなが友達に感じていたのである。

 

 

 

しかし、リップスライムは解散した。

 

 

そして、わたしがみていたリップスライムは、わたしがみていた陽気なおじさんは、虚像だった。偶像を崇拝していた。

PESツイッターを読んでは、陽気なおじさんなど存在しなかったと思い知らされる。

 

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精神的なしがらみのない生き物、それがリップスライムだとおもっていた。リップスライムだけは、歌って踊ってchillな日々を過ごしているのだと、信じて疑わなかった。そんなおじさんなど初めから存在しなかったのに。

 

 

おじさんというものは、得てして孤独な生き物である。否、おばさんもである。

 

 

27歳をおばさんとするのかはさておき、明らかに時の流れは早くなっている。少しずつ衰えていく自分。矢のように過ぎていく日々。成長しているはず、と言い聞かせ、少しの努力をしてきた自分だけを支えに、なんとか毎日立っている。やりたいこともほしいものも少しずつなくなっていくのを感じながら、それでも毎日に小さな幸せをみつけている。それなのに、何気ない日々に小さな幸せを、感じてしまうことそのものが怖くなったりして。大人になっても、大人になった気はしない。

 

大人になるってなんだ?わたしがなりたかったのは大人じゃない。大人になんてなりたくなかった。そうおもっていたけど。

 

 

 

 

大人ってめっちゃたのしい。聞いていた話と違う。いろんなしがらみはあるかもしれないし、一年の半分は冬だし、歌って踊って過ごせる夜なんてそんなにないけど。

 

生きるために仕事をするのを辞めたわたしは、もう無敵である。ライフワークバランスなんて言葉はもう必要ない。やりたいことをやって、ほんの少しのお金と、自由にカスタムできる時間とを手に入れてしまったわたしはもう無敵なのである。大人になんてなりたくなかったのに、大人ってめちゃくちゃ楽しいじゃん。

 

 

わたしはもう、リップスライムになる必要はなくなった。歌って踊ってchillしない毎日だって最高だ。

 

 

 

さて、今後の展望としては、ねこになりたいとおもう。できることなら飼い猫を目指したいけど、すこしハードルが高いかもしれないな。

 

でも大丈夫。夢は叶えるためにあるから。夢のない人生なんてまっぴらごめんだから。

 

わたしはねこになる。絶対になる。誰になんと言われようと、わたしはねこになりたいのだ。

ねこになるよ、みてろよ、ビッグなねこになってやるからな!!ドリームズ カム トゥルー!