代官山登山部

代官山?あ〜あの山ね。

皿とピーマン

ピーマンが嫌いだった。

 

フォルムがなんだかいじわるそうだし、切ると白いタネのようなものがたくさんあってゾッとするし、味は苦くてむかつく。その苦味から子供の苦手な食べ物界のトップに常に君臨し、鎮座している。

 

ピーマンを食べられないわたしは、給食の時間はいつまでも残っていた気がする。あの頃は忍たま乱太郎がこの世の常識で、お残しは許しまへんでというセリフとともに、給食はすべてを食べるまでごちそうさまをさせてもらえないという体罰が罷り通っていた。

 

 

 

幸いなことに我が家の教育方針においては、嫌いなものは無理して食べなくても良かった。好きなものを食べていれば、ただ何かを食べてさえいれば、褒められ、感謝され、わたしはのびのびと、ピーマンが嫌いなまま、大人になった。

 

 

大人になったわたしは好き嫌いがあることなど忘れ、自分の好きなものだけを食べて生きていたのに、幸か不幸か忍たま乱太郎育ちと思われる男性に愛されたことがある。

 

 

 

忍たま乱太郎育ちの彼は、お残しは許しまへんで教育の賜物で、好き嫌いがないことを誇っていた。今思うと、嫌いな食べ物がないことが何の自慢になるんだとすら思うけど、忍たま乱太郎世代は好き嫌いがないことが正とされていた。もしかして今もそうですか?

 

 

 

忍たま乱太郎育ちの彼は、わたしがピーマンが嫌いなことを知るや否や、あの手この手でピーマンを食べさせようとしてきた。

 

 

オムライスを一口食べて違和感を感じ、卵をそっと開くとオレンジ色のチキンライスの中に細かく刻まれた緑、そう、あいつが、お残しは許しまへんで、という顔をしてこちらを見ていた。

 

 

 

 

愛情であることはわかっていた。苦手なものを克服して欲しいと願う彼の想いは伝わっていた。

 

 

 

 

その想いをのせるには、ピーマンには少し荷が重いのではないか。そう思ったけど、当時のわたしは彼の愛情を受け止めるためにオムライスを食べ切った。今のわたしなら、そんなことをされようものなら間違いなく「ピーマンごときの栄養価でなにが変わるのか?ピーマン程度の栄養価など他の食材でいくらでも補えよう」とブチギレていたに違いない。ちなみにその時は嫌いなマッシュルームも細かく刻まれて入っていて、嫌がらせなのか愛情なのか判断に迷った

 

 

 

 

 

そんな愛情深い忍たま乱太郎とも別れたわたしは、またピーマンとマッシュルームとセッションすることなく、とても穏やかな日々を送っていた。

 

 

幸い、夫は忍たま乱太郎育ちではないため、嫌いだ、と言ったものが食卓に並ぶことはない。

 

 

 

ああ、サラバ忍たま乱太郎、もう君たちのことは思い出すまい、ありがとうNHK、いつかうちにテレビを置くその日がきたら、料金を払います。そう思っていたけど、ふと気づいたのである。

 

 

 

 

 

 

そういえば、ピーマンが、たべられようになった。

 

 

 

 

なぜか?

 

 

皿を買ったからである。

 

皿にこだわる→食卓の彩りを気にする→彩りは緑や赤や黄色がほしくなる→ピーマン

 

 

 

 

 

 

そう。風が吹けば桶屋は儲かるし、皿にこだわればピーマンが食べられるようになる。

 

何かいつもと違うことをすると、思いがけないところで、思わぬ変化が起きたりするよね。もっと言えば、やっぱり誰かにやらされるより、自分で挑戦するほうがずっといいよね。青椒肉絲おいしいよね。

 

 

 

 

 

ということで、今日のことわざです。

 

【皿とピーマン】

何か事が起きると巡り巡って思いがけない意外なところにも影響が出ること。また、誰かにやらされるのと自分で挑戦するのではまったく異なる結果を生むこと

 

 

 

 

そういう話です。

おしまい

 

 

親愛なる友へ

お久しぶりですこんにちは。

結婚はまぁ結構前にしたんですが、つい先日結婚パーティーをしました。

協力してくれたひと、来てくれた人、来れなかったひと、みんなありがとう。𝓛𝓞𝓥𝓔

 

 

 

 

 

わたしたち夫婦はマッチングアプリで出会いました。

マッチングアプリで出会って、2回目のデートで付き合って、その日からずっと一緒に住んで、1ヶ月後には指輪を買って、半年後には結婚をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

簡潔にいうとこうなんだけど、2回目のデートの、あの日を、思い出しながら書きます。

 

 

 

 

 

 

 

2回目のデートは渋谷の鉄板焼きでした。2回しか会っていないので、一応、「白い服を着ています!」なんて連絡を取り合って、食事をして、2件目は焼き鳥屋に行きました。

 

 

雰囲気もよくない、赤提灯でもない、よくわからないチェーン店だったような気がします。

 

 

 

 

「今ね、アプリでね、あなた以外にも3人の女の子と遊んでいてね」。彼はベロベロになって、ヘラヘラと、話し始めました。

 

 

 

なんとなくいい感じの感触はあったので、私はウンウンと聞きながら、「あなたがいいと思ったよ。」という次の言葉を待ちました。

 

 

 

 

 

彼は言いました。

 

 

 

 

「3人と遊んでてね、みんなすごくいい子でね、おれは、本当に、誰でもいいんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

??????

 

 

 

 

 

 

 

思っていたのと違う言葉でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、なんていうかな、そうなんだ。なるほど、じゃあわたしは落選で大丈夫です。帰ろう!解散しよう!」と言ってわたしが席を立つと、彼は慌てて「ちがう、そうじゃなくって、」と続けました。

 

 

 

 

 

 

 

ホテルに行きたいんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少し、気のあるそぶりをするとか、暗がりの店に連れて行くとか、手を繋いでみるとか、そういうことが出来なかったのでしょうか?

 

今時の顔のいい男は、こんな感じで、やってこれたのでしょうか?わたしはあまりにも、とんでもなく、舐められています。なめられ散らかしています。

 

 

 

 

 

いやでも。この男、顔がいい。東京で生きる30歳のわたしにとって、見た目が好みなだけの男と遊ぶことはもはや教養。セックスアンドザシティを見続けたこの知見を活かしたい。わたしもこの街を彩る、イルミネーションのひとつになりたい。

そしてわたしは、彼を6畳の小さな部屋に連れて帰ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝目が覚めると、彼はなぜかうちの壊れた換気扇を直していて、早起きだね、というと、今日は約束があるから。と言いました。

 

 

「なんの約束?何時から?」ときくと、「17時ごろかな。マッチングアプリの別の子と、沖縄料理行くんだ。家帰って、着替えたいんだよね。」

 

 

 

 

 

あまりにも悪びれない彼は、わたしの憧れている世界でした。だらしない恋愛ごっこができるじゃん!と思うと楽しくて、わたしは物分かりのいい女のふりをする必要はありませんでした。

 

 

 

 

「えーーー!行ってほしくない!行かないで!おねがい!ね?この通り!ね!行かないで!わたしと遊んで!駅前の万豚記でご飯食べよう?ねえ、わたしといた方が、絶対たのしいよ。」

 

 

 

 

 

 

 

本気で惚れてる男にはきっと絶対、こんなことは言いません。否、言えません。

 

わたしは愚かな女だから、本気で惚れている男の前ではきっと強がって、物分かりのいい女のフリをして、我慢したり、出ていく彼の背中を見届けて、切なくなって、どうしようもない気持ちを抱えて、こっそり枕を濡らしたりしていたでしょう。

 

 

 

でもこの日のわたしはいつもより、少しだけ大胆で、乱暴で、わがままでした。

 

 

 

 

行かないで!

いや、行くよ

おねがい!行かないで!

予約しちゃってるから。

やだ!たのむ!行かないで!

 

 

小さな6畳の部屋の大部分を占める、ダブルサイズのベッドでゴロゴロと転がる身長162センチののわたしは絶賛イヤイヤ期、妖怪行かないでと化しました。

 

 

そんな妖怪に彼は呆れて、沖縄料理に行くことを諦め、ふたりで都立大学駅前の万豚紀でチャーハンを食べました。

 

 

 

 

 

 

ビーチサンダルとくたくたのTシャツで散歩をしながら家に帰ると、彼は言いました。

 

 

 

「好きになった。付き合って欲しい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、最悪の気分でした。

 

だってこの男、昨日の夜は誰でもいいといって、ついさっきまで、他の女とデートに行く気で、わたしは彼と、とても恋愛とは呼べないような、だらしない関係を築くのだと思っていたから。

 

 

 

「付き合うとかはいやだ。好きだとかはいやだ。意味わかんない。付き合うとかは、今後の検討事項としようよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなやりとりがあって、最悪だったあの日は、最高の今につながっていました。

 

 

 

始まり方なんてどうでも良くて、大事にしたいのは、今この瞬間。

 

「遊んでよ!会おうよ!」という、ちょっと乱暴で、わがままで、格好つける必要のない関係の、そんな感じ。

覚悟なんてたいそうな物はそこにはなくて、ただ一緒にいたいという心地よさで、きっと本当に必要なのは、それだけ、そんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを、結婚パーティに来てくれたみんなの顔をみて思いました。

 

出会い方なんて全く覚えてなくて、どうやって友達になったのか、全然、思い出せませんでした。

 

 

 

わたしたち、どうやって友達になって、どんなことを共有してきたんだろうね。

いろいろあって、きっとこれからも色んなことがあるね。

 

時間も合わなくなって、選ぶお店も、行きたい場所も、欲しいものもきっと違ってくるね。

今まで笑えてたことが笑えなくなったり、共感出来ないことが増えたり、価値観はきっともっともっと変わっていくね。

 

 

 

まあ、でも、それでも、そんな感じで、また会いましょう。

 

「そっちに行くから遊んでよ!」って、乱暴に、わがままに、誘わせてね。

何ヶ月も何年も会わなかったり、遠い場所に住んでたり、子供がいたり、友達になったあの頃と今は全然違うけれど、これからも変わらず、格好つけずに話すから、格好つけずに話を聞いてほしい。そんでできれば、格好つけずに話を聞かせてほしい。

 

 

 

 

ゆっくり話せなかったからさ、今度会うときはコーヒーでも飲みながら、ゆっくり話そうよ。

来てくれてありがとう!来れなかった人もありがとう!最低と最高を繰り返していこうな!

 

 

 

おしまい

 

 

参考に過去記事もどうぞ↓

oyafukouofficial.hatenadiary.jp

 

oyafukouofficial.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

結婚をしました

どうもこんにちは。

 

さて、結婚をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おかしいですね。

 

 

「結婚?やだよ、別にしたくないもん。」

そう言い続けていたわたしが、半年そこそこで結婚をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、5年前にも結婚をしようとしていました。

 

「あなたはまだ結婚のタイミングじゃないんだと思う。」という言葉とともに、かつての婚約者は一緒に住んでいた部屋から出ていきました。

 

 

 

 

「結婚するなら、子どもが欲しい(子どもがいないなら、結婚する意味がない)。」

 

 

当時の婚約者に言われたこの言葉は今も残っていて、わかるような、わからないような気持ちと、言葉にできないモヤモヤがありました。

 

 

 

 

子供ができない体だとしたら?

私の仕事は?わたしのやりたいことは?

いまのお給料で何がしてあげられるの?いまのわたしに、子供に教えられることなんてなにひとつないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人と一緒になれる、という喜びよりも、「ああ、不自由だ。」そう思ったわたしは、たしかに彼の言うように、"結婚のタイミング"ではなかったのかもしれません。(子供がいることが不自由という意味ではなく!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから5年の月日が流れて、仕事も、住む場所も、付き合う人も、考え方も、少しずつ変わりました。

ただ、5年間かけて考えても、”結婚”というものはわたしにはまだよくわからない、なんとなく不自由そうな感じがする、そんなものでした。

 

 

 

 

 

「もう30歳なんだし将来のこと考えなよ」

「結婚しないの?」

「そんなんじゃ結婚なんてできないよ」

 

 

「結婚したいけどいい人がいない」

「結婚したいから婚活する」

「結婚できなかったらどうしよう」

 

 

 

 

 

 

わたしは妙齢の女だから、やっぱり結婚の話は多くて、でもなんだか他人事のようで、かといって、共感できないと主張するほどではなくて、「結婚ね~まあそのうち〜」と適当に受けしてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、他人からの言葉はいくらでも受け流すことができたけど、好きな人の口からでる”結婚”という言葉には、自分なりの考えを示す必要がありました。

ふたりの将来の、ふたりのこれからの話だから。

 

 

 

 

 

男の人は結婚したがらないと聞いていたのに、男の人はみんな、結婚の話をしました。

 

結婚のイメージができないと、振られたこともありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んあああ〜〜〜めんどくせっっええええ〜〜〜〜〜〜〜!!!

 

そんなにいいかね?そんなにしたいかね?結婚。紙一枚なのに。今がたのしいのに。結婚を見越して、楽しい今を手放すなんてばかみたいだ。

 

 

あぁ不自由そうだ、結婚。わたしの予定はわたしが決める。人からみたら価値のない物にお金を使いたい。やりたいことが山ほどある。叶えたい夢が山ほどある。

 

「何億枚もコピーされた一枚に人生を簡単に契約するなんて」と歌っていたラッパーも結婚したな。腹を括ったか。年貢の納め時というやつか。 

 

あゝ、わたしには結婚などまるで遠い、だれかの話。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思っていました。マジで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マジのマジでそう思っていたから、半年前の夏の終わり、2回目のデートで告白してきた彼に、言いました。


「わたし結婚したくないし子供もいらないしまだまだ遊び足りないし、料理とか掃除とか誰かのためになんて出来ないし、結婚とか考える年頃でしょ?わたしと付き合うのはきっと時間の無駄になると思うよ、だからさ、付き合うとかは、検討事項としよう!」

 

 

だらしないやつの典型みたいな返事をするわたしに、彼は言いました。

 


「別に結婚はしてもしなくてもいいんだけど、遺産相続とかあるし60歳ごろ入籍して、子供じゃなくてねこと暮らすのはどう?料理も掃除もはじめから期待してないかな。あとね、おれはきっと40.50歳になってもけっこうモテると思うから、心配しないで。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉に、あ、なんかこの人のスタンスよいかも、と思い付き合い始めて半年、気がついたら結婚をしていました。

 

 

 

 

今回あれだけ結婚したくないと言っていたわたしが結婚に至ったのは、大きな決断をした、とか、価値観がガラッと変わった、というよりも、気がついたら結婚をしていた、という方が適切なように思います。

 

 

 

 

 

 

付き合った翌日には、一緒に住み始めました。

付き合った翌月には、「ご両親に付き合ってると挨拶をしたい!」といって実家にいきました(付き合ってる挨拶ってなんやねん)。

その翌月には、「アクセサリーほしいな〜」とふたりの指輪を買いました(その時も結婚するつもりはなくてただ欲しい指輪があった) 。

その翌月には、「次の引越しどうする?」と住む場所を話し合っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流れるように、気がついたら結婚していました。なにも不自由になりませんでした。プロポーズの言葉もあったのかなかったのかも思い出せない。いやまじなんでだっけ?

 

 

 

 

 

 

ただ、何も制限されることなく、期待されることもありませんでした。夜遊びも、男友達も、高価な洋服も、家事をやってもやらなくても、仕事を急に変えても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結婚してもしなくてもいいよ、これからも一緒に過ごせれば。」

彼はいつもそう言っていて、そのスタンスはわたしにとって、とても心地良いものでした。

 

 

 

 

激務といわれる企業に転職をしようとするわたしに、彼は言いました。

「大丈夫だよ、嫌だったら辞めればいいし、好きなことしたらいい。元気ならいいし、元気じゃないなら寝てればいいし、何の心配もないよ。」

 

 

 

選択制夫婦別姓がいいねえ、苗字。というわたしに、彼は言いました。

「苗字、どっちにしようか。どっちでもいいよ。おれの親も、選択肢があることには驚いてはいたけど、どっちでもいいみたい。」

(これは両親や友達に相談し話し合いの結果、答えが出ず、ジャンケンで決めました。よりによってチョキで負けました。)

 

 

 

会社での呼び名について、彼は言いました。

「なんて言えばいいかな?嫁でも、奥さんでもなくて、でも、妻は言いづらいなあ。おかみさんはどうかな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

結婚しても不自由にはならないどころか、どこまでも、わたしを、尊重してくれました。

 

 

 

 

ふらふらと、ふわふわと、30歳を目前にしても全然まったく地に足のつかないわたしを、しっかり掴んで離さないのではなく、一緒にふらふらふわふわと、あてがなくても、どこまで行こうとも、一緒にいてくれようとする彼となら。

 

もしかしたら窮屈じゃないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じです。

おしまい。

 

 

余談ですが、わたしのほしいものリストです。一応ね、一応。

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3VMSJTMSGA8HJ?ref_=wl_share

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅部のすべて

『何部だった?』

 

 

 

 

 

当方29歳、いまだにこの質問にエンカウントするのが不思議ですが、この話をすると、帰宅部という存在を珍しがられるので、今日は帰宅部の秘密について書きたいと思います。なにを隠そう、わたしこそが、正真正銘、生粋の”自称”帰宅部だ!

 

 

 

 

 

 

帰宅部(きたくぶ)とは、クラブ活動(部活動)が強制されていない学校で、放課後の部活動をせずに帰宅すること、およびどの部活動にも所属していない児童・生徒を意味する俗語。

ーーーーーWikipediaより引用

 

 

 

帰宅部は、その部活動に所属していない生徒を指すらしい。

 

 

 

 

だがしかし、”自称”帰宅部がほとんどではないでしょうか。わたしの通っていた学校を始めとする、田舎の学校には、なんらかの所属していないといけないという、謎の法律がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はそんな帰宅部の、真実を伝えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅部帰宅部じゃない。

 

知っていますか?『帰宅部だよ~』と答えるやつ、だいたいなんらかの部活の幽霊部員。ちなみにわたしは、バスケ部、テニス部の幽霊部員を経て、英会話部に落ち着きました。英会話部最高。たまに英語の先生とお話をするけどだいたい帰宅。帰宅is最高。

 

 

 

 

そう、帰宅部も、実はちゃんと、なんらかの部活動に所属しています。強制なので。でも、『何部だった?』って聞かれて、「英会話だよ!」って答えても別におもしろくないし話も広がりません。

 

 

 

なんども、英会話部の説明してきたけど、英会話部のはなしで盛り上がったことが一度たりともありません。だれかひとりくらい、わたしも!!って英会話部あるあるで盛り上がろうよ。英語の先生ってだいたいヒステリックだよね~!とか、英会話部だけどぜんぜん英語話せないまま卒業したね~!とか、SUMOUまじ盛り上がるよね~!とか。

 

余談ですが、英会話部の活動内容として、【相撲】【お茶】【お菓子パーティー】などがありました。英会話部なのに日本文化学んでいるという。ALTの先生を歓迎するだけの存在、それが英会話部。

 

 

 

 

 

 

 

まあでも盛り上がった試しもないので、めんどくさくなって(時には悲しくなって)「帰宅部です」って答えるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅部、勉強も青春していない。おじゃる丸みてる

 

 

 

帰宅部、時間もあるし、勉強とか青春してるとか思われるかもしれません。してません。

   

 

 

これは頷く方が多いのではないかなと。高校3年間、おじゃる丸を見続けたのはわたしだけじゃないんじゃないかと。あれ、幼児向けのアニメだと思うじゃないですか?うん、正解です、幼児向けです。マジやんごとない幼児向け。アンパンマンのほうがまだ深みがある。でも、3年間ちゃんと見ました。

 

 

 

 

帰宅部だよ』と答える20代後半にはぜひ、【おじゃる丸を見ていたか?】を問いかけてみてください。これは一種のリトマス紙になります。もし、答えがYESであれば、間違いなくホンモノの帰宅部、かつ、青春コンプを抱えています。

 

 

部活後のみんなで食べるラーメン、冷えたアクエリアス、色違いのふたを交換したシーブリーズ、光る汗、Tシャツ、出会った恋。

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

青春コンプを刺激してやれば一撃です。自分で書いたのにコンプが爆発して泣きそうです。みんなが青春している間、わたしはおじゃる丸を見ていました。過去の自分をぶん殴りたい。ちなみに、【おじゃる丸を見ていたか?】の質問にNOと答える帰宅部がいるとすれば、そいつはもれなく不良。絶対不良。これはめっちゃ偏見。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅部、まじで運動できない。よって帰宅部

 

 

運動できなくても、部活はあるじゃないと思いますよね。

思い出してみてください。軽音部、吹奏楽部(弊母校にはなかったけど)、合唱部。あの強固で、独特なコミュニティ。そして下手したら運動部よりシビアな世界。

 

 

なじめねえ。

 

 

 

そして不遇にも、ただひたすらに運動ができないわたし。ひとが思うより、もう全然できない。

 

 

シャトルランで一番最初に脱落するやつを覚えていますか?わたしです、あれ。サボってるわけでもなんでもなく、もうほんとうに、走れない。責めないでほしい。ただひとつ言わせてもらえるのであれば、わたしは紛れもなくファーストペンギンだった。だれもが一番に脱落をしたくないと思いながら息を切らせ、必死になる中で、誰よりも先に脱落する。その様はまさしく、勇敢なファーストペンギンそのもの。

 

 

 

 

 

そしてわたしは今もなお、腹筋が1回しかできません。よく生きているな、などと言われますが、どう頑張っても1回しかできません。田中みな実まじすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この3つから導き出される答えは、

田中みな実はぜったい帰宅部ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が帰宅部のすべてです。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

【補足】

このブログを書いたついでに田中みな実の部活を調べたら、”器械体操部”だそうです。

田中みな実 部活 で検索する日がくるとは。 

 

 

 

働きたくないと働きたいのはざまで

日曜の夜ですこんばんは。

 

 

GW明けの日曜の夜、1年のうちの憂鬱な時間としては5本の指にはいるのではないでしょうか。1年の中の憂鬱な時間は、毎週日曜の夜、8月31日、プレゼンの前日、雨の日の歯医者、振られるとわかっているのに服を選ぶ時間。このあたりがランクインします。いやですね、考えただけで憂鬱です。

 

 

 

 

さて、いまこの瞬間関東平野でもっとも憂鬱なわたしがいつも通りInstagramを開くと、ある広告が出てきました。

 

 

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インスタに出てきた広告

 

 

 

 

 

『もう、生えたくないから。』

 

 

そう、これは紛れもなく、”毛サイド”の訴えです。この場合の主語は、この女の子ではなく、あくまで、”毛”。女の子が主語の場合は、おそらく『もう、生えてきてほしくないから』『もう、生やしたくないから』などになるのではないかなと思います。

 

 

 

 

でもこの広告は、あくまで、毛の気持ちを代弁しています。

 

 

 

 

 

 

 

友人に、【これは毛サイドの代弁をしているのか。毛サイドは、生えたいのではないか】と投げかけたところ、『わたしたちの働きたくないという意思に通ずるものがあるんだろうな、毛じゃないのでわからないが』という回答でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど。わたしは毛サイドの気持ちを考えていたようで、まったく考えが及んでいなかったことを恥じました。毛サイドは、生えたいものだとばかり思っていました。毛のことを思いやるようでいて、まったく、わたしの、固定概念の押し付けでした。毛にだって、もしかしたら、『別に生えたいわけではない』という思いがあったって、不思議ではないのに。わたしは、毛サイドの葛藤をくみ取ることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、これは、わたしの、わたしたちの『働きたくない』とよく似ています。

 

 

 

 

 

仕事好きなんですよ、たしかに。たしかに、わりと、好きな方なんです。いや、というかもはやぶっちゃけ好きとか好きじゃないとかではない。そこにあるもの。食う寝る住む働く。

 

 

 

 

でも、当たり前に出来れば働きたくないし100億円ほしい。日曜日の夜は憂鬱だし、一生夏休みであれと思います。もう戻れない大学生の夏休みに戻りたい。好きでもないお酒を飲んだり行きたくもないカラオケに行く日々が恋しい。サマージャム95きいて気が付いたら寝ていたい。そうめんの薬味をたくさん揃えて、みょうがと生姜どちらがうまいか、いやでもやっぱりねぎが薬味界では最強なんじゃないかと議論したい。働きたくない。生涯歌って踊って暮らしたい。

 

 

 

 

 

でも、働きたいし成果も出したいし給料もたくさんほしい。日曜日の夜は憂鬱だけど変わっていく働き方に少しワクワクする。このご時世に仕事があることに感謝しているし、なにか自分にできることがあるんじゃないかといつも探している。怒られてむかつくけど納得もしちゃって、それでもうるせえ見返してやるからなとおもう。たまに褒められて、よせやい///と思いながらまんざらでもなかったり、週明けの週末なにしてたの?という雑談が楽しみだったりする。自分の成果だこれは自分の仕事なんだと胸を張れる日がくるまで働きたい。

 

 

 

 

 

 

 

たぶん、毛もこんな感じです。

 

生えたいと、生えたくないとのはざまで、それでも命の灯を燃やしている。精一杯生えたいと願いながら、ほんとうは生えたくないかもしれない。いや、ほんとうは、生えたいのか、それはもう、どちらの感情が正なのかとか、簡単に割り切れるような、そんなものではないはずです。

 

 

 

この葛藤は今後、ずっと付き合っていくものだと思います。

 

 

働きたい。働きたくない。お風呂はいりたくない。お風呂はいりたい。寝たい。寝たくない。決して相反する感情ではなくもはやこれは表裏一体。毛よ、生えてもいい、生えなくてもいい。生えたいときがあって、生えたくないときもある。それでこそ毛。ムダhair。見せてくれ毛としての生きざまを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり違和感って、目に留まりますね。

まんまと脱毛の広告を拡散してしまった。やられたぜ。

 

 

 

 

チーム働きたくないのみなさん5月もがんばっていきましょう

 

おしまい

 

 

 

セックアンドザシティが見終わらない

かれこれ3年が経とうとしています。

全米が泣いたスペシャル恋愛バラエティヒューマンドラマ、セックスアンドザシティ(以下SATC)を、見始めてから。

 

 

ときは2020年。見終わらない。驚くほどに見終わらない。

 

 

思い返したように時々みてみる。1年ぶりくらいにみてみる。まだキャリーは不倫している。まだサマンサは若い男を抱いている。まだミランダは彼氏がいなくて、ジェシカは旦那と別居している。(ジェシカだっけ?)

 

 

いつまでやっているんだ?いつまでこの茶番をわたしは見せられるのだ?はやく誰か、誰でも良いから幸せになってくれ、たのむ。これだけいけてる4人組だぞ。誰か、はやく、あほみたいに幸せな顔でさ、Facebookにさ、結婚指輪と婚約届、のせようぜ。4人いたらさ、ひとりくらいそうなってもいいじゃない。

 

だって、3年だもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SATCは不朽の名作であり、いまをトキメク全女性のバイブルである(らしい)。

 

 

 

 

ストーリーは彼女たちの恋愛観をコアコンテンツとして進んでいくのだけど、とにかくめちゃくちゃかっこいい女たちなのだ。彼女たちは、常に、常に、波乱万丈な恋愛をしている。

 

舞台はニューヨークのマンハッタン。選ばれしものたちが住む街で、キュートで、スマートに、セクシーに、暮らしている。圧倒的な美貌とスタイルとセンスと、自分らしく働ける場所で、社会的にも評価されている。

 

ただ、シングルという点を除いて。 (そんな設定じゃなかったらすみません)

 

 

 

 

 

 

 

シングルって肩見せまいよね。わかる。年を重ねれば重ねるほど、いよいよ狭い。わかる。でもね、生涯のパートナーなんだからさ、焦って見つけたくないじゃない。結婚したいが先行して、年齢や職業でスクリーニングかけて出会っていくなんて、悲しいじゃない。まだまだ夢みたいじゃない。だから彼女たちの破天荒な恋愛スタイル、いいよね、いいよ、すごく。めちゃくちゃいいと思うなあ、わたし。

 

 

 

 

 

彼女たちの恋愛は主に下記繰り返し。

 

出会う、目が合う、手を振る、乾杯する、名前を名乗る、まぐわう、衝突する、まぐわう、衝突する、別れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この期間、およそ2話。展開がはやい。レベルが高い。圧倒的恋愛強者の物語SATC。遠い。遠すぎる。リアルには程遠い、華やかで奔放で、眩しすぎるエリート女性の物語。

 

 

 

 

 

 

いまをトキメク全女性のバイブルであるなどと前述しましたが、正気ですか?わたしが知らないだけですか?全女性、まじでこれバイブルにしてます?まじです????そこには、トウキョウには、そんな世界線があります?????わたしが選べなかっただけです??????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしといえば、上京してついに1年がたちました。

仕事は好きで、少しだけど給料もあがりました。でもかっこいい誇れような実績は出せずに、悶々と、泥臭く、それでもなんとか前を見て戦っています。この世の中の状況も、今までやってきたことが無に帰しても、怒られてもけなされても、それでも歯を食いしばっています。納得いかなくても『かしこまりました』と答えながら、たまに褒められたり、ごはんを食べさせてもらったりしながら、不倫とも、お手軽なセックスとも、結婚とも程遠い、叶いもしない片想いもしたりして。まじグッバイですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャリー、サマンサ、ジェシカ、ケリー、君たちみんな、めちゃくちゃかっこいいぜ。

 

わたしだけでしょうか、繰り返される毎日、矢のように過ぎていく日々。気が付いたら夕方。わたしの休日が、今日も終わろうとしてる。

 

共感できないだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、まあいい。そう、でも、いつか。

いつか共感できるはずなんです、この物語に。だって、世の中の女子がこんなにも虜になっているだから。まだわたしがそのレベルに達していないだけで、もうすぐ、これに『わかる~!!!!わかるウンウンまじわかる~!!!』って首を縦に振りまくる日が来るはずなんです。

 

今のうちに恋愛強者たちのスタイルを学んでおきます、いつかのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねえ、いつか、って、いつ?

 

 

 

いつなの?いつ?ねえ、いつなの?ねえ、ねえってば!!!!?!

 

 

 

 

 

わたし、重いかな…?そんな重いかな?

 

 

どうすればいいの?教えてよ!

ちゃんと言ってよ!分かんないから…。ごめんなさい…ごめんなさい。ちゃんとするから、わたし…勉強するから…そういうの…。

 

 

 

 

 

 

 

うーん途中からわたしの心の中の麻生久美子モテキ)が叫んでしまいました。

 

 

 

 

 

 

ということで、最後までみていないからわからないけど、たぶん見ないので、これからの展開を想像で書きます。

 

 

 

 

20XX年、ニューヨーク、マンハッタン。

キャリー、サマンサ、ジュディ、サリーは今日も変わらず仲良くブランチをしていた。

 

突如現れた黒い影に、世界は闇に包まれた!

 

人々は混乱し、空は堕ち、大地は割れ、海は枯れた。世界は終わろとしていたその時、立ち上がった4人のスーパースター。

 

わたしたちの戦いはこれからよ!

to be continued…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい。

だれか結末を教えてくれ。

 

コロナとワニと、ぼくの生きる道

世間は某ウイルスによりどえらいことになっとりますね。

 

弊社も原則リモートです。カフェで仕事をしていると口を滑らせたら少し怒られました。世の中は自粛ムードです。母親からは「マスク送るからね」とラインがきます。イベントは中止です。東京の電車が空いています。買い物にいってもお店も暇そうです。

なんだか世間はピリピリしています。

 

 

なのにわたしといえば、まるで実感がもてないのです。明日は我が身、のはずなのに、まるで、他人事のように思えます。思えば、テロも、地震も、台風も、ぜんぶぜんぶ自分の身のまわりに起きているはずなのに、まるで危機感を持てないのです。生きてきて2回だけ入院をしたことがあるけど、その時もそうでした。

 

他人のことみたいに感じてしまって、深刻さがわからない。そっとヤフーで3.11を検索してみたり、109の広告を思い出したりはするけど、ほんとうは、来週の打ち合わせとか、少し増えた体重とか、好きな人とか、ワニが死ぬことのほうが心配。

 

 

 

 

 

例えばあと数日後にします!7日後に死にます!7日後です!さあ!急げ!生き急げ!!って言われたとしたら、何か変わるのかなあと思って、ちょっと考えたので書きます。

 

 

 

 

1日目はまず有給をなるべくたくさん取ります。残った仕事をなんとか処理します。いつも通り社内の人となんでもない話をしたい。 いつもはいかないランチをしたい。偉い人がくれたランチマップは、ぜんぜん活用できなかった。

 

 

 

2日目は実家に帰って、家族とご飯でも食べようかな。

ほんの少しの貯金で、親孝行をします。

実家の洗濯機を乾燥機つきのやつに変えたい。これはいまわたしが一番欲しいものです。とにかく乾燥機付きの洗濯機がほしい。マスクより欲しい。孫の顔見せられないから、ルンバにぬいぐるみでもつけて仕込むか、アレクサでも置いておく。

貯金の残りは、海外旅行でもプレゼントしたい。NYとか、パリとか、なるべくイケてる街と、イケてるホテルで、なるべく、彼らが、今後ふたりではいかないような場所がいい。いっそアフリカとかでもいい。

 

田舎で生きる両親に、子供の成長でも、テレビでもない、刺激的な景色を見せられたらいい。

 

 

 

 

3日目は、いつもなら実家に帰った後は友達のところへ行くけど、墓参りでもしましょう。おばあちゃんに、もうすぐわたしも行くからよろしくな~!と挨拶をかます

おばあちゃんはいつもカントリーマアムを買っていてくれたんだけど、カントリーマアム、今すごく小さくなってるんだぜって見せてあげたいから、カントリーマアムを桶にいれてもらいたい。

 

 

 

 

4日目は困ったな、会いたい友達はたくさんいるけど順番がつけられない。

そもそも急な誘いじゃ、予定合わないかもしれない。沖縄や福岡や愛知やロンドンにいるから、ちょっと会いにいくには難しい。でもやっぱり会いたいから、福岡にいって、名古屋にいって、スシローを食べて帰ってきたい。ロンドンにはどうしたっていけないから、テレビ電話にしようかな。

いつも通り、最近の出来事を披露したい。結婚や出産や出世でライフステージを駆け上がるやつらに、熱いエールを送る。今週のおもしろかった出来事や、好きな人のことや、むかつく大人のことを話す。

 

 

 

 

5日目はTwitterやLINEや、その他もろもろのアカウントの整理をして、スマホをぶっ壊す。

 

 

6日目と7日目はどうしようか。特にすることは思いつかない。会いたい人に会う以外にしたいことがない。1週間かけてなるべくたくさん会いたい人に会いたい。

 

 

好きな人にも会いたい。元気でやれよ~!幸せになるんだぞ!って言いたい。できれば、欲を言えば、好きだった人にも同じことを言いたい。言いたいけど、きっと、なんとなく連絡すらできないまま1週間が終わって、気が付いたら死んでると思う。幸せになってくれと思いながら、伝えることなく、気が付いたら死んでいると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今していないことを、死ぬって思えばやるのだろうか。

 

わたしはきっと、やらないと思う。先延ばしにしていることは、先延ばしにしてもいいことだからきっと、死ぬまでの7日間では優先順位が低いだろうし、踏ん切りがつかなくてできないことは、プライドが邪魔してできないことは、きっと死ぬ間際まで、できないままだ思う。

 

小さなプライドだけ抱きしめて死ぬ。

死ぬと決まってもなお、譲れない、小さな、もうほんとうに小さなプライドだけを守って死ぬ。

ワニはどうやって死ぬのかだけ、教えてくれ。

 

 

 

 

 

ワニもわたしも同じように、きっと死ぬことなんて知らなくて、だれにもわからなくて、でも、その、【ひとはいつか死ぬ】ことだけは、なんとなくわかっていて、なににも実感がもてずに、これからも生きていく。

 

 

 

さて、コロナで世間が自粛ムードの中、ワニの死が迫る中、わたしがしたことといえば、変わったことといえば、金髪にしました。

 

 

コロナのおかげで、対面での打ち合わせや接触が減ったのが理由です。とくにしたかったわけでもありません。思いつきで、金髪にする28歳。美容師に心配されるタイプの28歳。

金髪、落ち着かないし、鏡に映った自分にびっくりするし、あんまり似合ってなくて笑っちゃう。でもなんだか、気分は悪くない。むしろいい。最高だ。

 

 

 

そんな感じです。そんな感じで、コロナとか、ワニとか、死ぬとか、死なないとか、やりたいこととか、会いたい人とか、好きな人とか、そんなことをこれだけ書きながら、やったことといえば、金髪。うけます。

 

そんなもんです、きっと。おしまい。