皿とピーマン
ピーマンが嫌いだった。
フォルムがなんだかいじわるそうだし、切ると白いタネのようなものがたくさんあってゾッとするし、味は苦くてむかつく。その苦味から子供の苦手な食べ物界のトップに常に君臨し、鎮座している。
ピーマンを食べられないわたしは、給食の時間はいつまでも残っていた気がする。あの頃は忍たま乱太郎がこの世の常識で、お残しは許しまへんでというセリフとともに、給食はすべてを食べるまでごちそうさまをさせてもらえないという体罰が罷り通っていた。
幸いなことに我が家の教育方針においては、嫌いなものは無理して食べなくても良かった。好きなものを食べていれば、ただ何かを食べてさえいれば、褒められ、感謝され、わたしはのびのびと、ピーマンが嫌いなまま、大人になった。
大人になったわたしは好き嫌いがあることなど忘れ、自分の好きなものだけを食べて生きていたのに、幸か不幸か忍たま乱太郎育ちと思われる男性に愛されたことがある。
忍たま乱太郎育ちの彼は、お残しは許しまへんで教育の賜物で、好き嫌いがないことを誇っていた。今思うと、嫌いな食べ物がないことが何の自慢になるんだとすら思うけど、忍たま乱太郎世代は好き嫌いがないことが正とされていた。もしかして今もそうですか?
忍たま乱太郎育ちの彼は、わたしがピーマンが嫌いなことを知るや否や、あの手この手でピーマンを食べさせようとしてきた。
オムライスを一口食べて違和感を感じ、卵をそっと開くとオレンジ色のチキンライスの中に細かく刻まれた緑、そう、あいつが、お残しは許しまへんで、という顔をしてこちらを見ていた。
愛情であることはわかっていた。苦手なものを克服して欲しいと願う彼の想いは伝わっていた。
その想いをのせるには、ピーマンには少し荷が重いのではないか。そう思ったけど、当時のわたしは彼の愛情を受け止めるためにオムライスを食べ切った。今のわたしなら、そんなことをされようものなら間違いなく「ピーマンごときの栄養価でなにが変わるのか?ピーマン程度の栄養価など他の食材でいくらでも補えよう」とブチギレていたに違いない。ちなみにその時は嫌いなマッシュルームも細かく刻まれて入っていて、嫌がらせなのか愛情なのか判断に迷った
そんな愛情深い忍たま乱太郎とも別れたわたしは、またピーマンとマッシュルームとセッションすることなく、とても穏やかな日々を送っていた。
幸い、夫は忍たま乱太郎育ちではないため、嫌いだ、と言ったものが食卓に並ぶことはない。
ああ、サラバ忍たま乱太郎、もう君たちのことは思い出すまい、ありがとうNHK、いつかうちにテレビを置くその日がきたら、料金を払います。そう思っていたけど、ふと気づいたのである。
そういえば、ピーマンが、たべられようになった。
なぜか?
皿を買ったからである。
皿にこだわる→食卓の彩りを気にする→彩りは緑や赤や黄色がほしくなる→ピーマン
そう。風が吹けば桶屋は儲かるし、皿にこだわればピーマンが食べられるようになる。
何かいつもと違うことをすると、思いがけないところで、思わぬ変化が起きたりするよね。もっと言えば、やっぱり誰かにやらされるより、自分で挑戦するほうがずっといいよね。青椒肉絲おいしいよね。
ということで、今日のことわざです。
【皿とピーマン】
何か事が起きると巡り巡って思いがけない意外なところにも影響が出ること。また、誰かにやらされるのと自分で挑戦するのではまったく異なる結果を生むこと
そういう話です。
おしまい