代官山登山部

代官山?あ〜あの山ね。

やめれば?は嫌味ではない

「仕事やめたい」「向いてないかも」を聞くたび、わたしは、「やめれば?」と答える。

 

決してそれは、突き放しているとか、自分には関係ないからとかではなく、ほんとに、そんなものは辞めていい、と思っている。むしろ、辞めた方がいい。そして、試しに、軽い気持ちで転職サイトに登録してみるのがいい。

 

 

 

 

 

わたしは仕事が好きだ。いまももちろん好きだし、前職もすごく好きだった。

 

 

 

 

前職は、5年が経つまえに、辞めた。

プツンと何かが切れてしまった。もうここではがんばれないな、と思ってしまった。

 

 

仕事も、上司も、部下も、すきだったし、信頼していた。うまくいかないことは多かったし、向いてないと何度もおもったけど、それでも仕事が好きだったし、目標があった。行きたい場所があったし、やりたいことがあった。

 

そこには行けなかったのだけど。

 

 

 

 

 

 

いろんな原因があったと思う。実力、実績、努力、今までの行い、人となり、運、愛情。いろんなものが、足りなかった。足りないこともわかっていたから、努力し続けることは苦ではなかった。ただ、努力の方向性が間違っていたのだとおもう。

それでもその時のわたしは、その時のわたしの頭で考えぬいた、その時のわたしがやるべきことを必死にやっていた。誰かからみたら足りない努力だとしても、間違った努力だとしても、少なくとも、その時のわたしには、それがすべてだった。

 

 

 

夢が終わった瞬間を、はじめて味わった。おそらく、人生ではじめての挫折だったと思う。ヘラヘラと生きてきたわたしの、はじめての挫折で、失恋した時より、愛犬が死んだときより、泣いた。とにかく、悔しかったし、情けなかったし、自分には価値がないのだと、自分のしてきたすべてのことは無駄だったのだと思ってしまった。

それが全てではないのだけど。それが、全てだったから。

 

 

 

 

 

そこからのわたしは、本当にダメだったと思う。挫折くらいで諦めるなんてその程度、と言われればそれまでだけど、そこからのわたしは、もうなにもがんばれなかった。全てが無駄に思えた。完全に、目標を失ったわたしは、迷子だった。

どうでもよかった。仕事の結果も、評価も、心の底からどうでもよかった。どんな結果も評価も、嬉しくもなかったし、悲しくもなかった。

だって、選ばれるのは、わたしではないのだから。

 

 

 

そしてそんなわたしにも、ついてきてくれている何人もの部下がいた。わたしのいうことをまるっとそのまま飲み込んでくれるような、そんな子たちばかりだった。

まだまだ若い彼女たちに、これから何にだってなれる彼女たちに、わたしのいうことすべてを信じてしまう彼女たちに、わたしは今までみたいに、自信をもって正解だ、と道を示すことができなくなった。

 

だってわたしの努力は、なににもならないのだから。

 

わたしが正解だとおもって、力強く進んできた道は、どこにもつながることはなく、時間だけが過ぎていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

そうしてわたしは、仕事を変えた。いつまでも執着することはわたしにはできなかった。

 

諦めないで、まだ望みはある、とか、続けてればいつか、とか、そう言われるたび、そのいつかを待つほどわたしには時間がないと強く思ったし、焦っていた。やりたいことも行きたい場所も、叶えたい夢も腐る程あるのに、こんなことしてる場合じゃないのだ、と。

 

 

 

 

 

損切りである。損切り2018である。損切りオブザイヤー、損切りドントクライ、ノー損切りノーライフ。これ以上の時間の投資は、わたしの人生において失うものの方が大きい。単純にそれだけの話だった。

 

 

 

そしてサンクコスト。サンクコストとは、戻ってこない時間や費用のことであり、サンクコスト効果とは、今までかけた時間や費用をおもうと、もったいなくて離れられない現象のことだなのだけど、そうなるのが、怖かった。

これだけ頑張ってきたのだから、とがむしゃらにしがみつく夢も、これだけ費やしたのに、と辞められないギャンブルも、これだけ長く一緒にいたのだから、と気が合わないことを感じながら付き合う恋人も、実は、結果的に、失うものの方が大きいかもしれない。

 

 

 

 

 

わたしは仕事を変えた。

 

後悔は、いつだって欲望には敵わない。この行動力で、わたしは何度も失敗してきた。何度も後悔した。それでもわたしは、この行動力で、何度もやり直してきたから、いつもと同じように、やり直すことを決めた。やりたいことをやるには、人生はあまりにも短い。

 

 

 

そうして別の道を見始めた途端、やりたいことをやれる道など、ひとつではないと知った。たったひとつだけの正解を探して、もがいていたわたしが、世の中にはこんなにたくさんの仕事に溢れていて、そしてそれを仕事にする方法は、決してひとつではないと知った。

 

目の前にひとつしかないと思っていた道は、360度広がっていて、わたしは自由になった。なんだってできるのだ。(正確には、実は、道を変えるために、寝る間を惜しんで、勉強をしたのだけど!)

 

 

 

 

 

仕事を変えて、はや4ヶ月。

 

少しこれは驚くのだけど、あれだけやりたかったことを、やれなかったことを、当たり前みたいに任せてもらえるのだ。4ヶ月なのに。なにもできないのに。

 

 

実は半分くらい、今もまだ、なに言ってるか全然わからない。カタカナをググりながら出る会議も、案件のたびに就活以上にする業界研究も、エクセルの使い方も、これやっといてよと突然降ってくるひとつも仕組みのわからないシステムも、目が回る。惰性でできてしまうことなどひとつもなく、他の人が5分で終わらせる仕事をわたしは、30分かけて理解するけど。30分で終わらせるぞって思っても、2時間かかるけど。

 

「マネタイズ方法考えといて」「これ来週fixで」「リテール経験活かして」「パーミッション取れてるか確認して」「ブロックチェーン」「フィジビリチェックの意味合いで」「POCで」

 

頼む、日本語で頼む。カタカナやめて。っていうか日本語で言われてもわかんないこと言わないで!意味がわかってもできないこと当たり前みたいな顔で言わないで!

 

めちゃくちゃで笑ってしまうくらい、訳も分からないまま任されて、いろんな人に聞いて、ググって、ググって、何度も修正されて、話を聞いて、これはあれだ、そうだ、ドラクエである。村人と話すたび、ヒントがもらえて、アイテムを集めて、レベルを上げて、わたしは仕事を変えたとおもっていたけど、実は、どうやらドラクエをしていたらしい。

 

わたしは明日からも、アホみたいな顔して質問の意味を確認するのだとおもう。必死についていくのだとおもう。だから、悩んでいるひとも安心してほしい。なーんにもわからなくても、お金はもらえるし、お腹はすくし、ごはんはおいしいし、やりたいことを当たり前にできる場所がある。

 

 

わたしは何もできないけど、やりたいことややってみたいことを伝えると、形にしてくれる人がいる。いつだってずっとずっと先の未来を見てきた彼らの、惜しみない才能を味方に、わたしはこれからも、頭の中を、一生懸命伝える。

 

 

 

「やめれば?」は、決して嫌味ではなく、わたしからの熱いエールだ。リクナビでも、マイナビでも、ビズリーチでも、wantedlyでもいい。軽い気持ちで、ヘラヘラと、転職してみたらいい。嫌なら、辞めたらいい。やりたいことがあるなら、やればいい。きっと楽しいので大丈夫だと思います。

 

おわり